教育的な意義・価値を基に発展してきた「スポーツ」は、20世紀の様々な出来事によって、その「あるべき姿」が問い直されていきます。
その出来事というのが、2つの世界大戦によってオリンピックが中止されたこと、東西の冷戦によるボイコット、国家ぐるみのドーピングなどです。
このように、スポーツを利用して、「国際政治的な干渉・勝利至上主義・商業主義的な行為」が多く行われるようになってしまいます。
このような出来事が続く中、「スポーツは全ての人にとって受け入れられるもの」であるはずだと、様々な「宣言」や「憲章」が出されていきます。中でも有名なものが、「スポーツ宣言」や「スポーツマンシップ」です。
・「スポーツとは、プレイの性格をもち、かつ 自己あるいは他者とのたたかい、または自 然の構成要素との対決を含む身体活動である。」
・「この活動が競争をともなう場合には、つね にスポーツマンシップにもとづいて遂行さ れなければならない。フェアプレーの観念 なしに真のスポーツは存在しえない。」
・「以上のように定義されるスポーツは、教育にとって注目すべき手段である。」
坂上(2014)より
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というように、「スポーツ宣言」ではスポーツの望ましい在り方や教育的手段としての意義が訴えられています。
また「スポーツマンシップ」では
・「ルールの遵守」
・「審判の判定の尊重」
・「相手に対する機会均等と競技における同権保証」
・「相手を尊重すること」
(レンク・ピルツ,2000)
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これらが掲げられています。
このように、スポーツマンシップに基づいたフェアプレーが、教育的効果を持ち、人格形成を促すスポーツに必要だという主張です。
しかし、「勝利を求めること」と「競技者として紳士的な人格を持って、相手を尊重すること」は両立可能なのでしょうか?
ここには勝負や、試合・練習の意味の捉え方におけるコーチの考え方が最重要だと言えます。その指導者の方針によって選手の思考や判断、態度や行動が大きく変わるでしょう。
また、競技力向上のための指導と、人間力向上のための指導は、時に相反する要素を持ち合わせています。競技力と人間力を共に育成していくことは、スポーツのコーチングにおいて非常に重要な課題であることがわかるでしょう。
立派な人間でも、勝つために非常識な行動をとってしまうことはあり得ることです。この可能性を十分に理解して、それと上手く渡り合って行くための行動を日々考えて行くことが重要と言えます。
参考文献
・日本コーチング学会(2017)日本コーチング学会編, コーチング学への招待. 大修館書店.
・坂上康博. (2014). スポーツ文化の価値と可能性: 1960~ 70 年代の国際的な宣言・憲章を中心に. 一橋大学スポーツ研究, 33, 72-79.