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ダニング=クルーガー効果(知識と思考を深め続け、実践し、挑戦し続ける選手や指導者)

ダニング=クルーガー効果とは?

多くの人は、その分野について専門的な勉強を続けていき、知識を身に着け、実践を続ければ続けるほど自分に自信が付いてくるものだと思っています。実際に、勉強したてで新しい知識や考え方に触れ始めた段階では、「自分は多くを知っている、他の人よりも専門的な知識がある」と、ぐんぐん自信が付いていく人が多いです。

 

しかし、ある程度知識量が増えたり、様々な物事の考え方、捉え方に触れつつ、実践の場で活動していると、「逆にだんだんと自信がなくなっていく」人がいます。これはなぜなのでしょうか?

 

それは「自分の能力の低さ、不十分さを認識し始めるから」です。勉強をし始めた頃は、自分の知らないことをたくさん知ることができたり、他人よりも専門的なことを知っているんだという優越感から、「自分の能力の低さ」をなかなか認識できなくなります。

 

これは、「ダニング=クルーガー効果」と言われており、自分を客観的にみることができない人が、自信の容姿や発言、行動、知識、思考について、実際よりもかなり高い評価を行ってしまうという「優越の錯覚」からくるものです。

 

 

そのため、特にその分野の勉強を始めたての頃は、とりわけ自信を持ちやすくなるのに対して、ある程度の経験を積んでくると、徐々に自信が失われていく…という現象が起こります。こうなると、自信満々に振舞っていた過去の自分が猛烈に恥ずかしくなったりするものです。

 

しかし、これは自分の資質能力をきちんと把握できるようになってきた、ある種の「成長の証」とも言えるでしょう。無能で自信も無い人間だ…と言うことは決してないはずです。

 

1999年にこの効果を定義したダニング氏は、自身の著書の中で以下のように述べています。

 

「あなたが無能なら、あなたは自分が無能であることを知ることはできない」

 

※Dunning, David (2005). Self-insight: Roadblocks and Detours on the Path to Knowing Thyself.

 


自信の喪失は、成長する誰もが通る道である

さて、自分に自信があまり持てなくなると「自信を持って話すことが難しくなったり」「自分の知識に間違いがあるんじゃないかと、情報発信がしづらくなったり」「スポーツ指導者であれば、自信を持ってコーチングすることができず…」と、何かと不安を抱えるようになります。

 

これは自身の知識や経験を深めていく過程で、誰しも通る道です。多くの場合、「これは本当なのかな、どうなのかな、言い切っていいものなのか」というモヤモヤ感と対峙しながら、さらに知識や思考を深め、実践を続けていくことになるでしょう。自信が無い、不安な感じは何とも言い難い辛さがあって、自信満々だった頃の方が幸せだったんじゃないか?と思うこともあるでしょう。しかし、先述の通り、知識や思考のレベルを高めようとした上でのモヤモヤ感がある状態は、自身の専門性が高まっている証拠とも言えます。そして、そのまま知識や思考を深める努力を怠らなければ、以下のような機会が巡ってくると思います。

 

 

①自信がなくなるけど、本当に知識と経験の豊富で自信がある人と、勉強し始めで自信満々なだけの人の見分けがキッパリ付くようになる

知識や思考を深め続けていれば、確実に自身のスキルは上がっていきます。そうなってくると、自信満々に物事を語っている人や書籍の、その内容をきちんと吟味できるようになるはずです。そういう経験を積んでいると、「アレ、なんかこの内容はおかしいな、どうなのかな?」と、問題点に気づくことができるようになります。明らかな間違いにはすぐに気づくようになるはずです。

 

そういった意味で、勉強し始めでまだまだ知識が浅いけど自信満々な人と、本当に知識や経験が豊富で自信がある人の見分けが、かなり簡単に付くようになってきます。いわゆる情報に対するリテラシーがすごく高くなります。

 

 

 

②さらに知識や思考を深めて、経験を積めば、本物の自信が付いてくる

既に述べた通り、知識や思考を深めて経験を積んでいくと、だんだんと自信が持てなくなっていき、自分の能力を過小評価しやすくなってしまいます。しかし、その先も自身のスキルを高め続けようと努力をすれば、本物の自信が付いてくるようになるはずです。

 

自信がないままの状態は辛いですが、めげずに、フェードアウトせずに自己研鑽を続けるべきです。

 

自信満々に言い切りをする勉強し始めの人の方が、慎重に発言する専門家よりも影響力を持ってしまう?

素人には、経験豊富な専門家と勉強し始めの人の区別がつきにくい

知識や思考を深めて、経験を積んだ上で自信が少しなくなっている人は、勉強し始めでまだまだ知識が浅いけど自信満々な人と、本当に知識や経験が豊富で自信がある人の見分けが、かなり簡単に付くようになってきます。これも既に述べた通りです。

 

一方で、その分野にまったく精通していない人では、勉強し始めで自信がある人と、本当にその分野を極めて自信がある人の区別がなかなか付きづらいことが考えられます。また、スキルは明らかに高いが自信が無い人よりも、知識も経験も浅いのに自信満々の人の方が有能に見えてしまう…というのもあるでしょう(下図参照)。

 

 

 

これは、まったく科学的根拠のない「似非科学」と言うものが世間に広まってしまう仕組みと似たようなものです。その分野に精通していない人は、何らかの知識がある人間の言い切ることを鵜呑みにしてしまいます。なぜなら自信満々に物事を語ってくれるその人のことを専門家だと思っているからです。人は自信が無い人よりも、自信がある人を信用します。自信がある人から教えてもらいたいと思ってしまうのは、仕方のないことなのかもしれません。

 

 

自信を持った振りをするのは辛いけど

スポーツ指導者やトレーニング指導者など、何かしらのコーチング、指導に関わる人であれば、やはり自信を持って、実践を続けていきたいものです。おそらく、教えられる側も「自信を持った指導」を望んでいるはずです。自信の無さそうな人よりも、自分に自信を付けさせてくれるようなことをして欲しいと思うのが普通ではないでしょうか?

 

しかし、その分野について専門的に学び続けていると、「これはこうやるのが正解なんだ」と、断言できることなんてそんなに多くないことに気づき、言い切ってしまうことを恐れるようになったり、本当に選手の将来のことを考えて、教えすぎることに不安を抱いたり…と、なんだか指導してもらう側からすると頼りなくみられてしまうような、そんな気持ちになってしまう、そういう経験をするときが来るはずです。

 

言い切りを恐れて、本当に指導される側のことを考えた上での指導者の行動は、なんだか自信が無さげで、正しいことを伝えているのに、その人のことを考えた上での行動なのに、「ちゃんと教えてくれない」とみなされてしまうこともあるかもしれません。対して、トンデモな内容であっても、自信満々に振舞っている人の方が、資質能力が高いとみなされてしまうこともあるかもしれません。これは、必死に勉強を続けている現場の指導者にとって辛く、歯がゆいことです。

 

また、指導者として、ここは選手に自信を持たせるべきだ、迷いを打ち消してあげるべき局面だ、と判断した時には(それがまだ研究段階で良く分かっておらず、真実ではなかったり、個人差次第の物事であっても)、これが正解だとあえて言い切ることも必要になるかもしれません。本当の意味で自信はなくとも、自信を持ったふりをすることで指導される側にメリットがあるんなら、それはやるべきことなのかもしれません。多少後ろめたさはありますが、「このトレーニングは必ずお前を強くする!断言する!」という感じで。このように、自身の資質能力を高めようと努力していれば、様々な葛藤に直面していくことにもなるわけです。

 

自分の主張に自信がなくなり、間違いを恐れるようになるけど、情報発信は続けるべきである

少し勉強して、自信が高まったところでやめて、自信満々に物事を言い切りまくり、実践を続けていく方が指導する側からしたら幸せなのかもしれません。しかし、本当の意味で自身の資質能力を高めていくためには、学びを続けていかないといけません。そのための行動をやめてはいけないはずです。たとえ自分の主張に自信がなくとも、恥をかいてしまうかもしれないと分かった上で、続けるべきだと思います。

 

本サイトも、ツイッター等のSNS含めて情報発信を続けていますが、このサイトの中にも間違いが多くあるかもしれない、意図とは違った解釈を与えかねない表現があるかもしれない…というのは承知の上です。実際に、間違いや解釈の相違等、多くのご意見を頂ける、良い学びの場になっていますし、人脈も増えていきます。ただ、「こんなことも知らないのか?」と、知識マウントを取るだけの人にはなるべきでありません。

 

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