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コーチングにおける「自信満々に何でも断言vs様々な可能性を提示して物事を正確に伝える」

コーチングにおける「自信満々に何でも断言vs様々な可能性を提示して物事を正確に伝える」

Twitter上でこのようなツイートをしたことがあります。

 

 

これは、自信満々に話すことが悪いことだとか、能力が低い表れだとか、自信なさげに聞こえる話の方が良いだとか、そういう指摘をしているわけではありません。(普通に考えるとその分野のド素人の話の方が自信なさげに聞こえるはずですし…。)

 

ある物事に対して深く知っている人にとっては、その物事に対して断言できることなんてこれっぽっちもなかったりすることを知っているし、そのことを正確に伝えようとすると、どうしても話が複雑になってしまう。

 

その話の聞き手側としては、なんだか話が複雑で、曖昧に感じられて、本当のことを正確に話されているのだとしても、自信が無いように受け取ってしまう、何がなんだか分からなくなってしまう場合もあるし、そういう話は聞き手側の需要とはかけ離れている場合もある。

 

だから、多少事実とは違うこと、または情報の不足を伴うことになったとしても、聞き手次第では、自信満々に断言した方が、相手にとって良い結果に繋がることもあるはず。

 

何をどのように話すかは、聞き手によって変えられないといけないですよね…という感想です。

 

専門性が高くなるほど、断言したがらなくなる

そもそもなぜ、その分野に精通している専門家ほど、自信満々に話せなくなる傾向が出てくるのでしょうか?これを理解するために「ダニングクルーガー効果」というものを紹介します。

 

 

ダニング=クルーガー効果

その分野に精通してくるほど、自分の主張に自身が無くなってしまうことがあります。多くの場合、その分野における専門的な勉強を続けていれば、自分の主張に対して自信が付いてくると考えるのが自然です。しかし、逆に知識や思考が浅はかな人ほど、自信にみなぎっている傾向があることも事実です。

 

これは、自分を客観的にみることができない人が、自信の容姿や発言、行動、知識、思考について、実際よりもかなり高い評価を行ってしまうという「優越の錯覚」からくるもので、「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれています。

 

 

“一方、物事をあまり深く考えないタイプだと、様相がずいぶん違ってくる。何らかの知識や視点を手に入れると、それですべてがわかったかのように得意になって吹聴したり、自信満々に断言したりする。もっと他の知見や視点があるかもしれないから断言はできないというような慎重さがない。その結果、中身の乏しい人物ほど自信満々に断言することになる。”

 

「なぜ能力が低い人ほど“自信満々に話す”のか?ディベート&プレゼン重視教育の罠」:榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士.https://biz-journal.jp/2020/02/post_142718_2.html(Business Journal)より引用。

 

様々視点から物事を考えたり、またはそのための知識の引き出しが少なすぎたりすると、「自分はその分野の全てを知っている」かのように錯覚してしまいがちです。一方で、その分野に精通し、物事を深く考えられる能力がある人ほど、そこまで簡単に断言できるようなことはそう多くないことを知っています。故に、発言に慎重になりがちで、まったくその分野について知らない人からすると、あたかも「自信が無いように見えてしまう」というわけです。

 

 

関連記事

 

 

指導を受ける選手、クライアントの立場からすると、何でもかんでも自信満々に断言してくれた方が助かる場合は多いのではないか?

しかし、そのような慎重な物言い癖は「何かの指導をする立場の人間にとって」大きなデメリットを生んでしまう可能性を孕んでいると考えられます。

 

例えば自分がその分野に全くのド素人で、短期的にある成果を挙げる必要が出てきたとき

 

「その問題には〜な可能性と〜な可能性があって、〜とも考えられるし、〜についてはまだよくわかっていない。だからあなたは〜すべきかもしれないし、〜した方が成果が出る可能性もある。」

 

という助言をされたとして、どのように感じるでしょうか?あなたはその分野に対して全くのド素人です。この記事を書いている私なら「そんなのどうでもいいから、とにかく何したらいいんですか?」と思ってしまう気がします。

 

「とにかく成果が挙がればそれで良いから、自分で考えられるようにならなくても良い、別にその分野の指導者になりたいわけでもない、とにかくある一定の期間内にその成果を挙げられれば悔いはない。」

 

実際、このように考える人は少なくないのではないでしょうか?

 

「結婚式までに痩せたい。その後はどうでもいい。笑」「大学で競技を続けるつもりはないから、あと1年でインターハイにいけるような選手になりたい」「自分で考えてスポーツをやることが凄く苦手だけど、結果を出さないとまずい。生活がかかっている。」

 

具体例を出すとこんな感じでしょうか?

 

こんな思いを抱いている選手やクライアントの願いに寄り添って、成果を挙げる手伝いをすることは、指導者の役割のはずです。

 

そのような場合に

 

「〜には〜の可能性や〜の可能性があって、その解決策としては、〜や〜が有効な場合がある。〜も大事だとは言われているけど、まだ確証は得られていない。なので、〜を実践してみるのが良い気がします。」

 

と、言われた場合と

 

「〜が効くということが分かっています。必ず成果に繋がるので、一緒に頑張りましょう!」
(「〜」は、指導者側が熟考の末、現時点で最良だと判断した内容)

 

と、言われた場合、受け手側としてはどちらが都合が良いでしょうか?その分野に全く詳しくなくて、とにかく成果を挙げられればそれで良い場合です。

 

後者の方がやることが明確だし、やる気も出る、信じるものが一つで、自分でアレコレ考える必要がなく、行動に100%自分の努力を注ぐことができる…と、感じる人は多いのではないでしょうか?

 

「自分の頭で考えられる選手やクライアントを育てたい」とする指導者は多いように考えられますが、それは必ずしも指導される側の望んでいることとはかけ離れている場合はあるはずです。

 

自分で考えられない選手はダメ…だというのはあくまで指導者側のエゴであって、すべての人に押し付けるものではないでしょう。

 

「自分ではできない仕事は、対価を払って外部に委託してより楽をする。」のは当たり前の考え方です。

 

だとすれば、スポーツの指導、選手の「自分の努力は最低限にして、成果さえ出せれば良い。行動に100%の集中力を使って、実施内容は指導者に委託する。」という考え方は決して否定されるべきではありません。

 

指導する際には相手の望みを理解する

選手やクライアントは、とある「望み」を持って指導者の元へやってきているはずです。その望みに応じて、助言の仕方を変えられた方が、その「望み」の達成に近づけるのではないでしょうか?

 

あらゆる可能性を余すことなく説明した上での提案(たとえそれが自信満々な話し方だったとしても)は、かえって混乱を招くこともあるはずです。また、選手やクライアントと指導者間の信頼関係が築けていない状態では、それが指導者への不信感に繋がる可能性もあるでしょう。

 

あらゆる可能性を考慮するのは指導者の頭の中だけにして、必要な情報は過不足なく聞き取り、現時点で最良だと思われる提案を断定的に、ハッキリと伝えて、その人のやる気を引き出し、行動をより促せるような物言いも、時には必要になることがあります。そのような助言をした方が良いと考えられる機会は、実践の場では意外と多いのではないでしょうか?

 

ただし、専門家同士で議論を進める場合、受け取りての立場が分からない場合での情報発信時などについては、やはり細心の注意を払った上での慎重な物言いが重要です。というよりも、本当にその分野の専門家であるなら、そうならざるを得ないはずです。

 

「時と場合に応じて、話し方、内容を適切に変化させられるようになった方が良いだろう」という至極当たり前の話でした。

 

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